hajiki2006-08-01

渋谷で「ゲド戦記」を観ました。

魔法使いたちが急に力を失いはじめ、めったに姿を現さないはずの竜が共食いをし、世界のバランスが崩れ始める中
父を刺し宝剣を奪って逃げた王子アレンは大賢人ゲドと顔に火傷跡のある少女テルーと出会うという話。


感想としては、人に送ったメールですが
「思っていたよりは……だけど誉めるところも……です。」
で察してください。
もっとまとめるなら
「見せかた下手の説明不足」
と言うのが一番しっくりくるかもしれません。
映画作りって難しい。
話を繋げればそれらしい映像にはなるけども、シーンがただの継ぎ接ぎにしか感じられなくてエピソードに芯がないのが気になりました。
なのでもっと場面場面を大事にしてくれよう!というところが多かったです。
声は葵さん以外はあんまり気になりませんでした、王妃役の夏川結衣さんは一場面しか出番がなかったけど雰囲気よしですよ。



※以下内容・結末に触れています



特に勿体ないと思えたのは、例を挙げるならアレンが人買いに捕まって車に乗せられるエピソードとゲドとテナーが地下牢に捕まるエピソードです。

前者は映画のテーマである(たぶん)「命を大切にする」ということの意味をアレンが考え始めるきっかけになる大切なシーンにはなりえなかったのか?
捕まって奴隷になり、生きることに無気力になってしまった人々の中に放り込まれたアレンが何を感じるのか
「死」に対して恐怖するなり「なぜ人は生きなければいけないのか」なり、なにかしらアレンの心をひくシーンにならなければいけなかったのではないかと思うのです。
捕まった、ゲドがすぐに助けにきてくれた、よかった、早すぎです。
結局その後もアレンは自分では何一つ見る事無く、ゲドやテルーの説教によって生きる事の意味を教えられるわけか、と思うとなんだかなあ。
その説教だってテルーの存在をもっとテルーというキャラクターならではの説得力が足せたのではないのか?
テルーは親たちに虐待され火のなかに放りこまれて捨てられた娘、誰よりも「生きること・死ぬこと」を知っている。
けれど映画で語られる生死観はなんだかあえてテルーでなくても誰でもいいような表面を引っ掻くことばばかりで
心えぐられるような強さが感じられなかったのは棒読みのせいだけではなく、雄弁な割に大事なことを伝える表現力が欠けていたからなのではないでしょうか。
掘り下げれば掘り下げるほど語らなければいけないことば、エピソード、そしてあえて語らなくても伝わるものがたくさんあるのがゲド戦記なんじゃないかなと思うのです。
だから映像化は難しいと言われてきたわけでしょう?

そして、長くなってしまったけれども後者はゲドとテナーの関係を中途半端に匂わせた割には途中でどうでもよくなったのではないかと思わせるシーンでした。
わざわざ「地下室」に二人を閉じ込めたのだから、絶対にテナーが昔アチュアンの地下墓所の巫女でありゲドに救い出された女性であるという設定を生かして一言なりともゲドに「あの頃を思い出すわね、出会ったあの時も地下だった…」とかなんとかくらい言わせなきゃ意味ないだろと思います。
だったらいっそアチュアンの設定はすっぱり切ってテナーは昔ゲドに助けてもらって好意がある、感じにしておかなきゃ原作知らない観客は「アチュアン」て結局なんだったのさーともやもやするのではないでしょうか。
わたしはもやもやしました。
他にも色々あったけれど、素人ながらとりあえずこの二つの場面は私がもしスタッフだったら絶対にゆずらんだろうなと思います。


その他気になったとこはアースシーの世界の人々の暮らしが見えてこなかったとこでしょうか。
登場人物しか生きていない狭い世界みたい。
食べ物も美味しくなさそうで、これがとても残念。
タイトルに「の」が入ってなかったことくらい残念。
その割に往年のジブリ作品からぱくったような人物の顔やシーンがいくつかあるのも遊び心には受け取れず、寒かったです。
ムスカがシータを追い掛けるのとかユパ様が暴走ナウシカを止めるとか…ねえ。

そして、一番びっくりしたのはエンドロールに原案「シュナの旅」と書かれていたとこ。
それ書いちゃうのかよ!
結局ゴローさんのオリジナリティは何だったのさ!どこさ!と言わざるをえないのですが………
劣化させること?
言いたかないけど、もっとこだわれよ、テルーの歌以外に。
こだわったって言うなら冒頭のじいさんが竜と人間の関係を王に説明するシーンはもっと音楽小さめにして印象づけておかなきゃラストのテルーが竜に変身するシーンがあまりにも突飛すぎるですよ。
あれはかなりかなり大切な台詞ちがうんですか、全然聞こえなかったですよ?

クモとアレンの関係も、だったらクモは前々からアレンを知っていて何らかの理由でアレン操って父親殺させた、とかにしておかないとアレンは母国に帰ったら父親殺しで斬首とかにならないのかしらと気になるのですが
影がやらせたのです、は通用しないでしょうに。
というかクモはいつアレンを見初めたのかわからんかったし、最終的に「世界のバランスが崩れて人の頭がおかしくなった原因を探る旅」というでかい目的の話が「不老不死を企む悪い魔法使いを倒す」小さい話になっちゃったのもどうなんだろう。
ジブリは続作を作らないだろうし。
死の国の門をクモが無理矢理開けようとしたから生と死のバランスが崩れ始めたんだよ、とかなんとか言っちゃえば良かったのに。


など、もろもろの事を思ったのでした。
アレー、オカシイナー。
ほんと、映画は難しい。
ましてジブリ映画は期待もかかるし金もかかるし。
今度はオリジナル脚本でジブリ美術館で流すショート映画を作ってみてほしいと思います。
これではあまりにも評価が偏りすぎて
それでつまらんかったらもう、知りません。


ここまで読む人いるのかなー、私は長くて読み返したくないからあえて推敲せずに送信しちまうぜ。