そうか、もう君はいないのか

イノウエさんの知り合いが亡くなった。
最近は疎遠だったけれどもつい先日、「スッチーと合コンしたい!なんかツテない?」というメールが彼から何年かぶりに来て、相変わらずだなーとイノウエさんが笑って「残念ながら…ない!」とメールを返していたのがなんとなく印象的だったのだけど
彼の姉と名乗る女性から昨日、通夜と告別式の連絡のメールが来て、死因は何かは分からず、イノウエさんはずっと「これ壮大などっきりじゃないのかな、どっきりだったらいいのに、だまされたいのに」とずっと半信半疑の様子でつぶやきながら香典の包み方やお通夜のマナー等をネットで検索していた。
不謹慎かもしれないけど、実感が湧かな過ぎてなんだか妙にそわそわしてしまうんだ、なんか遠足の前の日みたいな気持ちにすらなるんだ最悪だ。
寝る前にイノウエさんがそう言った。
大人になって色んな事が分かったような気がしていたけれど、死はまだまだ私たちには遠いものだったんだなあと思った。
私には知らない人なのだけど、誰かがいなくなって、ぽっかり空間ができて、そこからなにか染みだすような溢れだすような悲しみを思った。
溺れるのとは違う、じんわりと体を満たす思い。

「そうか、もう君はいないのか」
城山三郎さんの本のタイトルを思い出した。
中身を読んだことはないけれど、タイトルを見かけるだけで城山さんや同じように大切な人を亡くした他の人が感じている喪失感に一緒に触れているような気持ちになる。
それはまだ自分が本当に身近で大切な人を亡くしていないからだろうか。
近しい人を亡くした人に、どうやって触れたらいいんだろうか。
気持ちでは分かっているような伝わっているような気がしていても、行動や気遣いで表せなくてそんな自分に苛立つ。
どんなときでも、普段どおりにたたずんでいたいと思っているのだけれど。
こういう時にいつも、自分は色々足りないものが多すぎるような気持ちになる。