広い宇宙が、僕を動かしてる

野尻抱影さんの「星三百六十五夜」読む。
冥王星命名者で「星の抱影」と呼ばれた野尻さんの、星にまつわる様々な話がどれも優しくて素敵です。

冬の星といって思い出すのは中学生くらいのとき
獅子座流星群が来たときのこと思い出す。
夜中の二時くらいにこっそり起きだしてセーターやコートをたくさん重ね着してマフラーをぐるぐるまいてニットの帽子かぶって家の隣の駐車場に仰向けに寝転んで流れ星を待った。
張り詰めた冷気、なんてうまいこと日本人は例えるんだなと思った。

一番幸せな自殺方法はお酒を飲んで雪の日とかに薄着で外にでて寝てしまうことだと聞いたことがあるけどそれは本当だと思った。
このまま寝たら死ぬかな、と思った。
死はいつも隣にある。
流れ星には「受験に合格しますように」より「アベさんのお嫁さんになれますように」とたくさんお祈りした。
あのころはミッシェルが無くなるなんてまったく思っていなくてサニーディ・サービスもホフも真心もあってなにもかもずっと続いていくもんだと思っていた。
アベさんにもいつか出会えるんじゃないかなとか思っていたんだよ。

今も心のなかのベストテン第一位はアベさんで小林さんで長塚さんなので(おや、増えてしまった)
なんかもうそこに至ると恋情というよりむしろいてくれてありがとう、というかその人が存在しているということだけで嬉しいというかんじになっていて
恋じゃなくもっと私を形づくる中にもう深くに組み込まれてしまっているのでたぶん純粋に好きというのはこういうことじゃないかと思う。
流れ星を待っているときからそれはなんとなく知っていた。

世界が私だけになったような錯覚と刺さる空気と暖かいマフラーとコートとカイロの感覚が気持ち良かった。
小さい自分と世界の真ん中にいる自分と大きな自分。
音楽はいつも流れている。
十五個くらいしか流れ星は見れなかったけどその間自分は何回か死んだり生き返ったり小さくなったり大きくなったり、たゆたった。
虚ろだけど満ちていて、世界の終わりの日はこういう日がいいと思った。