ディスクマンの電池が切れて読む本も家に置いてきてしまってすることがないので何か、とりとめのないことを考えようと思った。
雨がたくさん降っているので雨のことを考えようと思った。

雨の中を歩くと靴がびしゃびしゃになって隙間から水がしみ込んできて靴もズボンも濡れるのが好きではない、雨はいつでも窓越しに見るのが好きだ。
窓越しに見るならいくら降っていてもいい。
家の中ならすごくいい。
特に用事がなかったり洗濯物があまりたまってない時ならなおいい。

窓を隔てて外の世界では雨が降っている。
電車の窓から住宅街を見る。
学校の教室の窓から水溜まりが地図のようになった校庭を見る。
母親の運転する車の窓から波紋を作る水田を見る。
いつだって窓を隔てて雨を見ていたような気がする。


大きな川の傍に住む痩せて枯れた老人の家の二階の窓の縁に腰掛けて川に波紋を付ける雨を見ているところに老人の吸う煙管の煙がふわりと漂って
一階から老人の弟子の引くかんなの音がしていた夢を昔見たことがあって今でもなんで覚えているのかよく分からないけれど川のあお緑色と空と煙の白と、かんなと雨が真っすぐ空から落ちる時にたてる音が全部すっと体に染み込んでくるような気がしてすごく落ち着いた気持ちになった夢だったような覚えがある。
時代劇が好きだからかもしれない。
時代劇というより情景を思い描くことが好きなのだと思う。


地下に入ってしまうと雨の風景は見えなくなって体にまとわり付く湿気と傘の水気だけが冷たくて軽く不快になる。
車内に人が詰まっていなくて良かった。
結局、雨降りの日は外には出たくないなあという結論に落ち着きそうだ。
歌のなかの南の島の大王みたいに雨が降ったらお休みにして寝ていたいですよ。
でもまあ頑張るのです。


最近、考えることにとりとめがなさすぎて話の栓がどっかに行ってしまって全部考えるそばから吸い込まれてなくなってしまってるような気がしている。
日記なので気にしないけどあとで読むとこんなこと考えてたのかと思う。
考える端から消えているのだから当たり前か。
ほうほう。